バスクの美食文化: もし我々のものがこの世で最低のものだとしたら…

ジャーナル・オブ・インターナショナルフードソサイティー  (1988年、ロンドン)原文より一部(2300;ワード)抜粋
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80年代の頃、バスク人の友人とよくサン・セバスティアン(ドノスティア)を訪れていた。友人の家族はサン・セバスティアンでレストランを経営していた。バスクの食文化には非常に驚かされたものだ。その質のレベルだけではない、いかに大事に自分たちの食文化を育んできたかということだ。今でもバスクを訪れると、そこには食に関する文化において、何を達成できるのかを知るためのモデルともいえるバスクの美食文化を目にすることができる。それは食をとりまくすべての分野(市場からバル、レストラン等の飲食店、そしてすべての家庭に至るまで)においてである。ただしそこには常に集団としての取り決めと理解が必要であるのはもちろんのことだ。さらには現在私たちが置かれている経済危機から抜け出す賢い方法を、バスクの食文化からみつけることができるようにも思える。経済危機に立ち向かう手段として、創造力(広い意味での)の重要性について語られているのを耳にしたことがある人は多いのではないだろうか。

Translated by Yumi Oyama

スペインバスクには食に関して、また良質な食事を楽しむことに関しての情熱がある。彼らにどうしてかと尋ねると、地理的に山があって海の香りも漂っているからだと深く考えずに答えるか、もう少し深く掘り下げて彼らの文化のアイデンティティーに言及したり、さらには世俗の快楽を良く思わない宗教心の強い社会における食の享受だと答えるものもある。

美食文化についての著者によると、すぐお隣のフランスの影響であり、また産業が発展した地域であること、さらには19世紀の間サン・セバスティアンで夏の避暑を過していた裕福な家庭で働いていた料理人たちの影響だと述べられている。おそらく彼らが最も参考としたのはバスクの偉大な作家ホセ・マリア・ブスカ・イスシであろう。彼はバスクの質の高い食文化はその恵まれた地理環境によるものであって、自らの食文化を「手の届く半径」、つまり広大な畑と影響のすぐ近くと表現している。それは一つの地域における景色の大きなコントラストという地理的な意味にも、また文化の交差という意味にもとれる。アダム・ゴプニックはパリの美食文化は社会交流、もしくは社会的運動のおかげで発展したという考えを広めた。そしてこの社会的な動きはバスクでも大きな役割を果たしたといえるだろう。確かにバスクの食文化は少なくとも100年の間ブームとなっていた。レストラン以外の場所も含めてである。

バスク料理の特徴について誰もが同意することは、食材への尊重、食材に対する丁寧な扱い、そして特に最近、付け加えなければならないのはその高い価格である。

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バスク産の食材であることを強調するかのように、バスクの産物には必ずと言っていいほどその産地名が古代ローマの文化のように添えられる。例えば例をあげると、豆は「トロサの黒豆」、アングラス(ウナギの稚魚)は「アギナガのアングラス」、骨付きステーキは「バスタン渓谷のステーキ」。さらには「農家のトマト」まで、自分たちの畑のものが一番と言わんばかりである。バスクには地理的な変化に富んだ様々な地域があるため、それぞれの地域や村によってバスク語の方言もたくさんある。それらを標準語として一つにしたエウスケラ・バトゥア(Euskera Batua)と同様に、料理においても小さな村々の独自の料理を合わせたバスク郷土料理というものがある。外部の人からよく知られている郷土料理のレパートリーは、今でも大きな町と、特にそちらにあるレストランだけに存在しているのだ。

農村部における食材は周辺の領域でとれるものだけに限られているため、それらの地域で新しい食材をみつけることはまだまだ稀である。それは地域の多様性と巧妙さに貢献しているからである。スペイン側バスクの沿岸部、山間部、海に近い農作に適した地域、そしてナバラ地方南部の市場へと届けられる肥沃な野菜畑の広がる地域において日常的に食されている料理は明確な特徴を持っていることが多い。フランスとスペインの国境はわずか2世紀前に置かれたことを思えば、フランス側バスクの料理との違いは顕著であると言えるだろう。

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